昭和45年11月01日 月次祭
何時も素晴らしいおかげの中に、過ごさせて頂きました。十一月に入りましてから、また信心も新たに気分も心も新たな思いで、十一月の信心に一つ本気で取り組ませて頂きたいと思います。先月天赦があった、ね。神様に許されての願いとまぁ仰せ出されました。その様に月の焦点として、おかげを頂いたのですけれども。果たして私共がそういう姿勢を持って願って来たであろうかと。
ただ神様をがっかりさせたと言った様な感じで、いわば願いもせんなりに、先月はまた素晴らしいおかげだけを受けてきたと言う事になりますと、もう今までの信心と一つも変らない事になる。勿論ほんなら皆さんが和賀心とか、ね。合楽で二十年間申して参りました様々な。今日ある方が参って見えられましてね。大きな病院に勤めておられます。もうご主人は先生は七十二にもなられる。
それが奥さんと看護婦、婦長ですね。看護婦が六人かおるわけです。その婦長と奥さんとの仲でもう痩せられるだけ痩せてしまわれるほどしに、その両方から自宅のほうに帰れば、奥さんから責められ、病院のほうでは婦長さんに責められと言った様な、大変複雑なその家に、まぁ働いておられる方があります。その方が参られまして、もう半年あまりになるでしょうか。
とにかくそのその方の生き方、あり方を見てからあなたの様な気持ちになられたら良かろうと、まぁ先生からも言われ、奥さんからも言い婦長さんからも言われて、そしてぼちぼち合楽の信心を話しておりますと。その話の中で痛くその先生が感銘された。信心と言うのはどういう事かと。第一そこに雇われなさる時に、あの月に三回だけは十三日会と、それからまぁお月次祭の日でも良いから、その三日間休ませて貰うて、その日だけはあのお参りに当てたいという条件だったんです。
そしたら向こうの奥さんが言われるのは、金光様の信者ちゃとにかく、辛抱強かち言う話じゃけん、そんなら良かろうばのち言うごたる風で、決まったち言うんですよ。やっぱ信心辛抱などと言う事は、やっぱ皆さんが知っておられる。金光様の信者なら辛抱強いというので雇われたが、成程辛抱強い所か何時も、ニコニコとして腹を立てる様な事が無いというのです。そこで皆さんがそれに目をつけられるように段々なった。
お参りをするという時には、お初穂の一つも託けられる様になられた。それでもまぁだ家庭の中は、もうそれこそ奥さんと婦長さんとの間の睨み合い。もう婦長さんと言う方が、まぁだ十代の時からその、いわゆるオールドミスなんですよね。いわゆるけれどもその技術は立派、看護婦の資格を持っておられて、とにかくそのまぁ堂々たる婦長さんらしいんです仕事の上では。そすと奥さんは二度目だから、やっぱりやられがちなんです、という様な中にあってね。
そこん所を信心を持って、取り持ちながらです。はぁ信心ちゃ有難いなぁと言った様なものを、与え続けておられる。先日もご飯の時に婦長さんもおられなからなければ、先生も居なかったらその方にね、もうほとほと私も困りぬいとると、何とかならんじゃろうかと言うてその、相談があったち言うんですよ。大体金光様ち言や私げにゃもうその、何ち言うですかね。
前の家内のときには氏神様やら祭っちゃったち、氏神様ち言うが大神宮様やら、荒神様やらそれを今度の家内が来てから、みんなひっ片付けちしもうちから、もう拝まんごとなったち。が大体その金光様の信心ちゃ、どういう信心かち言うて、そのまぁ先生が尋ねられた。それでその方が言うておる事がね。金光様のご信心は取分け天の事を説いてきた信仰は沢山あったけれども、大地の事を説いたのは教祖ご一人だと。いわば土の中から生まれたような信心ですからです。
もう土の様な心にならせて頂く事に、私共はもう一生懸命取り組んでおりますち言うたち。そしたらですねその七十になるお爺さんがね。それこそ涙を一杯ためられてね、何と言う素晴らしい信心があるかち言うて、たまがられたち言うです。成程あんたがここへ来てから半年になるが、あちらに行っちゃこちらの悪口。こちらに行っちゃあちらの悪口聞きながらです。それを土のような心であんたが受け抜いて、にこやかに御用をしておる、その意味が分かったと言うて感動されたと。
だから今日はそこの病院の届けをされましてね。まぁ遠いんですそれが。遠いですから中々ですけれどもね。そのまぁここにお引き寄せ頂かれるのも、間近だろうと言うて今日は夕方から参ってきて帰られました。と言う様に確かに金光様のご信心は辛抱強い。ただ辛抱強いと言うても歯を喰いしばって、辛抱するのではなくて、それこそ金光様のご信心は土の様な信心だという。
私共もね私はそれを聞かせて頂ながら、はぁあんた素晴らしい事を言うたねと言うて、言いました。金光様の信心はもう、大地の御恩徳を説かれます。教祖様その方がお百姓であり、土の中から生まれなさった様なお方です。ですから実に素朴で土の香りがするような教えでも、そういう教えばっかりです。そこで私共はその土の様なあり方にならせて頂こうと、何時も心にかけさせて頂いておる。
家内が土のような気持ちになったなら、婦長が土の様な気持ちになったら、問題は一遍に解決するだろうのにと言う訳だったでしょうねぇ。信心が尊いと言う事をです。それこそ七十になるお医者さんが、目に涙をしてから素晴らしいなぁと言うてその、言われたと言うて、今日御礼お届けがあっております。ね。ですからそういう信心をお互いがです。言うなら、二十何年間頂き続けてきた。
そういう素晴らしい信心を。それを成り行きを尊ばして貰う、成り行きを大事にさせて頂こうと言う訳でしたね。ですからほんなら十月も、やっぱり大体それと同じようだったと。そういう素晴らしい信心。いわば天赦がさぁ願えと。願いにはこう言う筋を立てて願えと。こういう風に願えと、噛んで含めるように教えて下さるけれども、まだその願いの信心が始まったばかりですから。
何とはなしにこう、まだ肌に合わないと言った様な感じで、とうとう願わんなりに十月の一月がしかも、広大なあの様なおかげを頂いて、終わらせて頂いた。まぁそれが大体十月の合楽の信心ではなかったでしょうか。御本部参拝と言い同時にここの教祖大祭と言い、それこそ何時もの倍の言うならば、おかげを頂いてまいりました、ほどしに素晴らしいおかげを頂いた。私共家族と致しましては、古川の家のご先祖のお祭り。古川コノ様の四十五年の式年祭にお招きを頂きまして。
金光家一門百名あまりの金光家だけの方たちが集まられましてね。盛大なお祭りに会わせて頂いて、しかも今度は後でその身近な、内々だけ金光様をご中心にご会食のおかげを蒙らせて頂くと言う様な。しかも金光様ここにお座りになっておられるのに、古川先生がここに座っておられて、私共夫婦がここに座っておると言う様なね、勿体無いおかげを頂いた。もう夢にも思わなかった様なおかげが展開して参りました十月で御座いました。ね。その様なおかげを頂かせて頂いて、これから私共がです。
本当に願い願いの信心に、私共がいわゆる神様が言うて下さっておられる願い。世のお役に立ちたいの一念が、一心が願いになってくるという信心。ところがその辺のところがどうもまぁだぴったりこう、こないという感じで、いわば今月の信心の焦点であります所の、一心の真を捧げての願いになろうという信心に入った訳であります。だから先月は神様は、淋しい思いをなさったわけです、ある意味では。それこそ土の様な信心は、ある意味で見事に出来た。
だからそれに願わんでも、頼まんでもあのようなおかげを頂いて、おかげの月としておかげを蒙ってきたが、あれに願いの信心がもっと本当なものになっておったら、どの様な事になっておったであろうか。それをまた改めて私共が、一心の真を捧げての願いにならせて頂こうと。一心の真を捧げての願いにならせて頂こうと。そういう信心に先駆けて、只今委員長からお話があっとりましたように、私共の三男の今度、病院に四日から入院になります事についての、皆さんがもう本当にこの度は。
私は驚くばかり異常なまでです。もう毎日毎日もう沢山の、幹三郎君のお届けがある。少年少女会の小さいこんな少年少女会の方達がお初穂の肩に、ね。幹三郎お兄ちゃんの病気が治りますようにと言う様な事が書いてお届けがあってる。皆んな幹三郎兄ちゃん、幹三郎君、又は幹三郎様という風に、皆さんそのこう私は異常なまでに思う。それは私共が、何十年間いうならば、医者と言う事を知らなかった。医者を知らなかった。薬と言うものを飲んだことがなかった。
それがそういう図らずも、神ながらなそういう働きになって参りましたらです。これは矢張り病院に入院しなければならないほどしの事であるから、これはまぁ合楽としては大変な事だというのが、皆さんのこう一つの盛り上がりが出来てきておるのじゃなかろうかと。この点だけでも有難いなぁと。愈々今月はそういう意味においてです、一心のいわば、皆さんの真を捧げての願いに、私は応えさせてもらえる信心が出来るのじゃないかという風に、まぁ心ひそかに喜ばせて頂いておるわけで御座います。
私共が丁度二十四日からでしたかね、御本部に発ちました。丁度幹三郎君が学校は、二十五日から、修学旅行で御座いました。それでその前に何百名の方が、田主丸の熊谷内科でみんな診察を受けました。その時にこれは旅行になんか行くのは無理だと。または危険だと、と言う事でその、旅行を断られた形でした。電話で私あちらの先生から呼ばれましてね。こんな訳ですからと言われるから。それでも本人は楽しんでおるようですからあの、連れて行って下さいと私が申しましたら。
そんならお父さんあなたが途中でどう言う事になっても良いという、一冊を入れて下さい。そしたら一緒に同道しましょうと言う事であったから、そんなら一冊入れましょうと言う事でありました。夕方本人帰ってまいりましてから、今日電話が掛ってこうこうだったと私が申しましたら、僕はそげん修学旅行はどうでも良いと思いよる。兄ちゃん達も行っとらんし、姉ちゃん達も修学旅行は、御本部参拝したぐらいで、自分も知ってるわけです。ですからもう僕は大体どうでもええち言う。
どうでも良いならば明日から、お父さんとお母さんが、御本部参拝する事なってるから一緒に参らんかち言うたら、なら僕はそれのほうがよっぽどええち言うてから、まぁ親子三人水入らずでですね。おかげで御本部参拝させて貰い、古川家の霊祭におかげを頂いたような訳で御座いました。そんな事で私共帰らせて頂きました。ましたらあの小倉から電話が掛って参りました。富永さんの奥さんから電話が掛ってきた。実は先生先日から久留米の母が来ておりますと。
で幹三郎ちゃんの事をあのうちの先生が聞きましたら、そう言う事をどうして俺に早う言わんか。俺は知らなかったそうでしょう沢山子供がおるから、どれがどこの息子やら分からんのでしょう。それではね僕が今から四時半に病院のほうが引けたら。直ぐにそちらに行くからと言うて、電話をかけとけと言う事であった。だから四時半にそちらにもう、親子三人で行きますからと言う電話であった。まぁそれはそれは困ります。そら来て貰わんがよ御座いますという訳にもいけん。
もうどうにもこうにもならん様な事で、もう夕方にはこちらへ着いて下さいました。早速先生がその診察をして下さいました。もうそのいわゆる顔面のその様な病気の事では、もうそれこそ日本でも権威と言われる程しの先生の事で御座いますから。一目で色々と分かられた。これは早くまぁ医者の立場から言うたら、直ぐ手術なりせねばならんなら、手術をせねばならん。
とにかく本式にまぁレントゲンにでもかかって検査をしたが良いと言う事になって、それからまた奥さんが、その翌々日でしたか、わざわざまた小倉から見えて頂いて、それから九大の富永先生の先輩、同時に後輩の偉い先生方に紹介して頂いてから、もう四日も五日もかからなければならない所を、その日一日で一日ではない、もう半日も掛らなかったでしょう。で帰ってまいりました。
その様な訳で御座いましたが、そして昨日一昨日でしたか、こうしてあちらのほうへ入院の手配が済んだから、四日から入院をして頂くようにと言う事になり、それで富永先生の奥さんは、もうこういう時にこそ、私がお役に立たせて頂くなら、お役に立ちたいと夫婦で申しておりますと。例えばこの頃診察に参りました時に、二回も先生から電話が途中で掛ってくると言う様な綿密さをもってですね。あのその事に当たって下さってある。それで奥さんは今日のお月次祭から。
もう引き続いてこのまま居って、四日の日には勿論その前に、色んな準備の事やらもある訳でしょう。ですからこのまま御用させていただくと言うて、今朝から電話を頂いて、今日今晩お参りになっておられます。その様にまぁ言うて下さって、もうとにかく十重二十重皆さんの、一つの祈りと言うか皆さんの願いと言うものがです。そこに集められての感じを受ける程しで御座います。
先日も診察に行ってから帰ってまいりまして、私所に挨拶に二人でやってきました。只今帰りましたと。で幹三郎ちゃんに隣の奥さんが言うておられる。幹三郎ちゃん病院に行かれてもね。怖くはなかったでしょうて。とっても偉い先生だけではない、もうとにかくね、もう現代医学の技術の粋を集めたいわば病院。しかも留学などもなさって、とても有名な先生。しかもうちの先生の先輩であったり、後輩であったりしかも親切で良い人だから、怖くなかったでしょうち言うて。
そしたら僕は怖かったち。僕は本当に怖かったち。そうでしょう初めて病院に行ったのですから。そらやっぱどうもない者でも、やっぱ胸がどきどきする様にありますもんね、あそこは、今慣れん者が行きますと。それに例えば今までもほうからかして、もう親はこれは酷だと言う様な事を聞いて来とるものですから、やっぱ怖かった。けれどもねその出掛けにお取次ぎを頂いて行く時に、お母さんと富永先生と三人で、ここでお届けさせて頂く時に親先生がね紫ムードだぞと。
私そのお取次ぎをさせて頂きましたら、壁の全部がね紫色に貼ってあるような、紫色の部屋と言う様な部屋を頂きましてね。だから私が紫ムードだと紫と言うのは、ここでは安心と教えられる。だから紫ムードだぞと。今日あちらへ行っても安心ムードで行けよと、親先生が言いなさったつを思い出したら、安心が出来たといっております。ですから私は、それを聞かせて頂きながら思うた。お互い信心しとるけん安心とか何とかと言うのは、あまりもの安心であって本当の安心じゃない。
安心と言うのはそれは、障子一重がままならぬのが、私共なのですからねぇ。そうでしょうが。障子一重向こうが生やら死やら分からない。今日あって明日はない命かも分からないのだから。障子一重がままならぬ人の身であると言う事が、人間の実相なのだ。それが本当の事なのだ。それを安閑としてどうもないから、お金があるから自分は健康だからと言うて安心しておるわけにはいけん実をいうたら。
信心が分かれば分かる程、障子一重がままならぬ人の身であるという自覚に立つ時に、初めて、低姿勢の信心が出来るのだ。今日もお生かしのおかげを頂いておって有難かったという訳なんです。例えばそこまで出るでも、神様にお願いをさせて頂かなければ、出は出来ないというようなです。いわば謙虚な低姿勢の信心と言うか、実意丁寧神信心がなされなければおられない、信心が分かれば分かるほどそうである。
私はその事をお取次ぎさせて頂いてです。いわゆる幹三郎と富永さんとの会話を聞かせて頂きながらです。はぁ幹三郎が今言うておる怖かった。けれども御理解を思い出したら、安心したという、あのそれこそがね本当の信心で言う安心ではなかろうかと、私は思うた。ね。言うならば不安で不安でたまらない。怖くて怖くてたまらない。けれども神様を信じさせて頂く。
言わば信心の喜びと言うものが、これに入ってくる。その怖い心と有難いという心が一つになって丁度、一様に水平の形をとった時が、これが安心だと言う事。どうもない時に平気で安心ち言いよるとは、だからもう安心と横着とは紙一重なのだ。そん時に私が頂きましたのはね。始めに夜叉の面をかぶっておる人が、夜叉の面を取ってお多福さんの面をかぶったとこを頂いた。
それをね夜叉の面をかぶったり、お多福さんの面をかぶったりする所を頂いた。はぁ信心で分からせて貰うとか、頂くというのはここだと思うたです。信心をさせて頂く事によって人間と言うものの実態が分かる。私の姿が分かる。いわゆる障子一重がままならぬ人に身であると言う事が分かる。そこに願わなければ、縋らなければおられない。そこから縋らせて頂く喜びがある。
その不安と喜びとが一つになって、丁度水平の形を取る、いわゆるこれを平生心と言うのである。素晴らしい事だなと私は思うた。昨日ボーイスカウトここの少年少女会によっての、バンド結成の報告の御祈念が、昨日ございました。もう楽器が全部揃いました。それを使わせて頂く子供達も全部揃うた。先生が昨日お出でて頂きまして、その事がありました時に、御祈念をさして頂いてから、みんなに聞いてもらったことです。リーダーがこういうお届けを致しました。
僕達がこれから、この合楽教会のバンド結成と言う事にならせて頂きましたが、その事を通して、どうぞ信心を分からせて下さいというお届けでした。その事を通して信心を分からせて下さいと。日頃使う言葉ですけど、何かその事が妙に私の心の中に、有難いものに感じられました。子供達が一生懸命に笛を吹く者、ラッパを吹く者太鼓を叩く者、その太鼓を叩きながら笛を吹きながら。
その事を通して信心を分からせて下さいと願っておる。はぁこれだなぁと私は思うた。その事を通して信心が分かる。次に女のリーダーの井上さんが、ここでまたお届けをさせて頂いた。昨日お夢を頂きました。それがここのお広前で、少年少女会が一生懸命何か御用をしておる。ちょっと横を見た所が、幹三郎ちゃんがおられます。だからちょっと見た所が、幹三郎ちゃんの、この大きなそのコブが無くなっている。あらあんたコブが幹ちゃん、無くなっているがと言うたら。
あらち言うて僕も知らなかったち言いよる所のお知らせであった。一生懸命に御用を頂いておる。私は一生懸命に楽の御用を頂いておる。一生懸命に笛を吹いておる、太鼓を叩いておる。それが只その技が上手になる事の為にではなくてです。その事の中から信心を分からせて下さいと言う祈りが願いが、例えば少年少女会の一同の人達が、幹三郎君のことをやっぱ願っておられます。
僕達が一生懸命この事を稽古させて頂き、御用を頂く事が幹三郎ちゃんの病気が治ると言う事に繋がる事なのだという思いでの事がです。私はこれこそが一心の真を捧げての願いだと、私は思いました。だから今朝その事を皆さんに聞いて貰うた。一心の例えば真を捧げて、自分の一番大切なものを捧げて、そして神様に祈るという、これはもうお徳を受ける世界の事を頂きましたですね。
稲村ガ崎で新田義貞が、自分の一番大事な小金作りの太刀を、海に献じてその願ったというあの古事に習ってからの御理解を、皆さん覚えておられますでしょう。だからそれも一心の真を捧げての、言うならば願いなのです。けれども私共は日々です。例えばお百姓をしておる人はお百姓をしておる。総代は総代ほんならここでの、それぞれの持ち場立場と言うものを持ってです。
今日はその事をあの、桃太郎さんの事で頂きました。お爺さんが山にお婆さんが川に洗濯に行く。そういう例えば持ち場があるのだけれどもです。私共はややもするとお爺さんに一遍だん、あんたが洗濯ばしてみらんのち言うごたる風な事を言いよる。男女同権だからと。親父に今日はあなたの番ですよなんて言うてそのご飯炊かせる。と言うて洗濯させる。そう言う様な考え方でね。
如何にその持ち場立場と言うものが守られるか、おかげが頂けないかと言う事が分かる。その持ち場立場と言うものをです。笛を吹く者は笛を吹く、太鼓を叩く者は、太鼓を叩きながらです。その中から信心を分からせて頂くと言う事が、一心の真に繋がるのであり、その事が幹三郎の病気平癒にまで繋がるという程しの事に成って来る。お百姓する人が、あぁ今日もまたきつか稲ば刈らんならんと。
先ほど前講に永瀬さんがお話になっておられました様に、もうそれこそ信心とは何と有難い事であろうかと、自分の持ち場自分の立場。そこでです一心に神様にお縋りさせて頂きながら、今日は柿の手入れをさせて頂いたら、その柿に対する人間に対するその愛情のようなものが、柿の葉一枚柿の実一つの上に感じられたと言われておられます。そういう気持ちで御用を頂いたら、どの様に有難い楽しい事であろうか。落ちていく木の葉一枚を見ては詫びられたそういうね。
詫びたり御礼を申し上げたりしながら、稲刈りが出来たらその様に素晴らしい事であろうか。お互いの職場においてそういう私は、信心が生き生きと生かされて参りましたならです。それこそが一心の真を捧げて、御用をさせて頂くと言う事になり、それがひいては様々な願いの焦点である、その願いが成就すると言う事にまで、発展してくるおかげになってくるので御座います。
合楽に新しい一つの、本当に神ながらな事と言う事をですね思います。一心の真を捧げて願えれる私にならせて頂こうと言う、いわば焦点がですこれはもう今度の場合はもう、十五日こう二十日ぐらい前に頂いておりましたから、もう短冊に書いておった。今度のだけは。それが期せずしてこの十一月にですね。一心の真を捧げて祈らせて頂く稽古の、しかも本当にです、あの本気で願わなければおられない、例えば教会の中にそういう一つの問題があると言う事なんです。
皆さんが個人個人で、矢張りその事を願わして貰わなければおられないという程しの事なんです。幹三郎が言っておりますように、病院に行って怖かったと。私は今日の少年少女会に申しました。僕達が一生懸命この楽の稽古をさして頂くと言う事は、丁度昔の戦いの時にドラやら鐘やら、ほら貝やらを吹き鳴らして、いわば怖い戦地にですか切り込んで行ったという。
もうそのリズムと言うかその勇ましいまでの、ラッパの声やら又は太鼓の音はね、幹三郎君を、その様なおかげに、いわばしていく一つのリズムになるだろうと申しました。その事が一心の真を捧げられての、子供達の稽古のそれがです。私は幹三郎をしてそういう勇気を奮い立たせる事になるのだという風に私は感じました。それがほんなら合楽打って一丸のご信者さん方が、それは合楽のお坊ちゃんだからと言った様なものではなくてですね。もう初めてです合楽からいうならばです。
そういう例えば申しました、もうやむにやまれない働きが、病院に連れて行こうとされる、その働きをです受けて立たせて頂く、そこにお互いの祈りが一つになる。そういう素晴らしい事になってです。一心の真を持っての願いが、この様な輝かしいおかげになるのだという体験をね、頂かせて頂くもうこよないチャンス。今月の焦点とぴったり来ると言う所にね。もう一から十まで神様の御都合の中にある事だなぁと思います。もう絶対神様のそういう有難いおかげの中に、御都合の中にその事があるのです。
そこをだから御礼を申し上げなければおられないと言う事になって参ります。どうぞその事を通して、おかげを受けると言う事は、その事を通して銘々の信心がです。はぁ一心の真を捧げての願いと言う事が、こういうものであったと。先月許されての願いと言う事を、許されながら願えなかった願いをです。ここにかけてです一つ信心の稽古を、本気でさせて頂いたら、有難い事になるなぁ。その事もまたいうならば幹三郎の病気、その事もですね。生きて来る訳なのです。そういう意味合いにおいてです。
一つ本気でおかげを頂かせて貰い。同時に皆さんの持ち場立場いうならば、総代なら総代としてのです、ね。総代としてのいうなら御用のあり方、総代じゃけんこげんせんならんけんしよると言うのではなくてです。その中に一心の真を込めてです。そうさせて頂かなければおられない、やむにやまれぬ心が総代としての御用が出来る、その事が一心の真を捧げる事だと言う事になったね。してみるとですね。例えばほんなら共励会なんかに、企画部長じゃけん、久富さんな行かっしゃらんならん。
またその共励部長だから、山田さんが行かんならん。けれどもねその共励部長なら共励部長、企画部長なら企画部長としてのですよ。としてどうある事が本当なのかと言う事を分かってその事に、一生懸命になると言う事なんです。それが一心の真をいわゆる少年少女会の方が、自分のいわば稽古をする。笛なら笛太鼓なら太鼓に、一心を打ち込む事が一心の真を捧げる事になるのだと。
成程なぁと私は思います。例えば平田さんの事なんか、今朝から思うておる。成程ですほんなら平田さんが、如何にです信徒会なら信徒会と言う事に打ち込んでおられるかと言う事なんです。あれが一心の真を捧げておられるから、あの様な矢張り徳も受けられ、おかげも受けられておられるんだと言う事を思うでしょうが。自分なこう言う役前になっとるけん、これだけの事はせにゃならんけん、しよると言った様な事ではいけない。それをです。一心の真を持って所謂信心になっての。
例えば総代なら総代の御用が出来る。その事がいわば一心の真を捧げると言う事になるのですから、一つまぁ一心の真を捧げての願いと言う事が、そう言う事にまで、進展してまいりましたわけです。そこを気付かせて頂いたら、今までの御用のあり方のいわゆる内容が、如何に貧しいものであったか。成程おかげに繋がるものでないと言う事が感じられます。どうぞ一つ愈々。
信心の修行にも、もってこいのシーズンになりましたんですから。本当にあの先ほど委員長が言っておられます。幹三郎の病気平癒祈願とでも申しましょうか。に一心の真を捧げての願いになる事が、それはそのまま皆さんの力にも、信心にもなる事であると同時に、願うと言う事の有難い事を、体験させて頂く事にまでなりゃ、一挙両得と言う事になるのじゃないでしょうか。
どうぞ、よろしくお願いいたします。